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とあるフリースクール小学生の気持ち,

kid日々の雑記

習いごとから戻ったユエと一緒に食事をしている時のこと。

同じ学年のRちゃんが「もう理科が大変。ペテルギウスとか覚えられない。」と言ってたんだけど、自分はもう勉強したところだったから心の中でうんうんってなったよ。こういう時、自分の年齢で覚えることを勉強しておいてよかった。もし勉強してなかったら、Rちゃんが何言ってるのか意味がわからないし、そうすると不安とか悲しい気持ちになってたと思う。

と話してくれました。

小学校に行かない選択をしてから、小学校に通うお友だちと関わる中でこういう状況や経験を何度も重ねていたのかもしれません。

これまで大好きなお友だちと楽しく遊んでいるはずなのに、途中で急に表情が固まってしまうことが多々ありました。その度にわたしやお友だち含めユエ以外の全員がわけもわからず、どうしたの?って気が付くくらいの不自然さでした。怒るとか泣くとか、そういうのとは違う異質の不自然さなのですが、年齢的なものなのかなと片付けていました。わたしと二人の時に何が起こっていたのかを尋ねても、自分でも理由がわからないけど固まっちゃうんだと表現していました。おかしな話ですけど、しばらくは友だちといる時に自分が固まっていないかとこっそり聞かれたものです。

それがホームスクールで本格的に勉強を進めてきて勉強自体が楽しくなってきたここ最近、誰の前でも固まることがなくなったことに気が付きました。そして固まっていた時の気持ち、不安や悲しさをぽつぽつ教えてくれるようになりました。

わたし自身はフリースクールもホームスクールも生徒としての体験がないので、世間では少数派のホームスクーラーの子どもが実際にどんな気持ちを抱いているのかについて想像が及びませんでした。わが家はユエに勉強を強制する環境になかった(いつか必要な時にやればいいと思っていた)ので、自信のなさとか劣等感とかは、比較するクラスメイトのいないホームスクーラーには無縁だろうと思っていたのです。ユエに限っていうとその考えは間違っていました。そういう自信のなさや劣等感は子ども自身の中からも生じ得るもので、不自然に固まってしまうのはその表れだったようです。そして自分は自分の年相応の学力・知力があると自信をもって言えるいま、その固まりは消失しました。

本当にごく最近になって、そういう自分の中にあった不安や悲しい気持ちの正体とその対処法がはっきりわかったせいなのか、それについて語ることが増えました。きっと一つの経験として消化しているところなのでしょう。以前は自分はフリースクールだから勉強はしなくていい、だったのが今ではフリースクールだから自分で勉強しないといけないに変わったことに子どもの成長を感じます。ユエ曰く、勉強ができるのは最強アイテムだそう。子どもの自信や自己肯定感、可能な限りしなやかに育てて行けたらいいなと思います。